Banraisha
Keio University Mita Campus, 2-15-45 Mita, Minato-ku, Tokyo, Japan
2005.03
University facilities
181.9m2
An attempt to revive the collaboration (1951) of Yoshiro Taniguchi and Isamu Noguchi in the modern age. The building maintains its outer shell only, and all partition walls and upper-level floor are removed, leaving an empty void, inside which white translucent cloth is used to reproduce the partition walls and the floor. That is, the previous ‘hard’ architectural elements are replaced with those translucent, soft and light. As a result, all elements (furniture, interior décor) emerge as a landscape under a white veil. Creation of such white, nebulous landscape reminiscent of a scene in a dream, would have elicited the material shape of past memories.
蓬莱舎継承空間
東京都港区三田2-15-45 (慶應義塾大学三田キャンパス内)
2005.03
大学施設
181.9m2
谷口吉郎、イサムノグチがつくり上げた空間(新萬來舎)を「保存/クリエーション」しろという難易度が高く、緊張を強いる課題を与えられた。
発端は三田キャンパスの南館の建設計画である。計画敷地内に谷口吉郎が設計(1951)し、イサムノグチが彫刻、家具、内装でコラボレートした新萬來舎が存在し、その保存について、大学当局と谷口先生やイサムノグチにゆかりのある人びととの間で意見の対立があった。建築の一部とイサムノグチの作品を保存し、それを新しい大学院棟の屋上に再現するという大学当局のアイデアと、保存とはいえないという論が真っ向から対立していた。私も慶應で教鞭を執るものの一人として、検討委員会のメンバーに招かれた。
昨年の秋である。これ以上実りのない対立に終止符を打つためには、屋上に建設する「新萬來舎」を、イミテーションではなく、新しい一つのクリエーションとしてそれをつくるべきであるという意見がノグチ財団から出された。彼らは委員会の名簿に私の名前を見つけ、そのクリエーションを私にやらせてはどうかと大学当局に提案したのである。
困難な役回りに躊躇した。近代建築の保存とは何かという、今日の建築の世界で最も困難ともいえる課題の中心の深みに足を踏み入れることを意味していたからである。しかも谷口先生、イサムノグチとも、私が最も敬愛し、共感を覚えてきた芸術家であったからである。その二人の芸術を引き受け、その上でクリエーションを行うなどという難題に、私が値するとはとても思えなかった。しかし、非才を顧みず引き受けた。
私は一枚の半透明の幕を提案した。夢の中で過去という時間が白い霧の中に霞んで見える状態をつくりたかったのである。かつての新萬來舎の間仕切り、2階床スラブをこの膜に置換するのである。それによって、復元された「新萬來舎」の建築エレメント(壁、開口、庭園)はすべてフィルター越しの白濁した風景として感知される。それは現実/記憶/映像の中間的な存在として宙づりにされた風景といっても良いだろう。庭園はフランスのランドスケープデザイナー、ミシェル・デヴィーニュによる。航空写真と「新萬來舎」のかつての庭をデジタル処理によって重ね合わせたその漂白されたようなドライなデザインも、現実とデジタル処理を施した映像的なものとの間に宙づりにされた印象を与える。
コンクリートというそれ自体が抽象化された匿名な物質で作られた近代建築の保存、復元、創造とはそもそも何か。それらの一見対立したかに見える諸概念を/(スラッシュ)という操作によって接合できないだろうかと考えた。この与件の困難は、成熟期の都市においてもはや例外とは呼べない。対立に代わる方法を我々は真剣に探る時機なのである。



