KKAA Newsletter #56 (May 3, 2024) See in English 日本語で見る

#56 March 19, 2024


 上野千鶴子と語り合う 
 
 僕が8年かけて書きおろした『日本の建築』(岩波新書)が、去年11月に出版された。記念のトークがやっと麻布台ヒルズの大垣書店で開催された。出版から時間がたったのは、僕がどうしてもこの本について上野さんと話をしたく、上野さんと僕との時間がなかなかあわなかったのである。
 なぜ上野さんなのか。それは唐突に聞こえるかもしれないが、僕と上野さんとの30年前の出会いがなければ、この本は生まれなかったからである。
 きっかけは僕の本の処女作『10宅論』を上野さんが見つけて、おもしろがってくれたことである。あの、どうしようもなくフマジメで、ヤツあたり的で、論理もへったくれもない「コンクリート打ちっ放し批判」の『10宅論』を、おもしろがってくれたのである。それで彼女は国立民族学博物館で開かれた、梅棹忠夫先生主催の「近代家族」をテーマとするシンポジウムに、海のものとも山のものともつかぬ僕を、パネラーとして呼んでくれた。
梅棹先生は、先生の著作『サバンナの記録』を中学時代に読んで以来の大ファンで、僕のアフリカ、サハラ調査旅行のきっかけをつくってくれた僕の「神様」であったが、「神様」との出会い以上に衝撃的であったのは、上野さんの「抑圧の装置としての近代住宅批判」であり、その後に僕は彼女の『家父長制と資本制』を読んで、文字通りに目が開かれた。なぜ僕が建築家達がえらそうに設計しているコンクリート打ち放しの「近代住宅」に嫌悪感を覚えるかの背景が、上野さんによって明確に示されていたのである
 上野さんの思想の背景には梅棹先生の先駆的な「専業主婦不要論」があり、郊外の典型的な「近代家族」の中で抑圧されていた母に対する、僕の特別な感情が、嫌悪感の根底にあった。その筋道がその日にやっと理解でき、僕の人生の方向が定まった日でもあったのである。
 その30年後に宿題を仕上げるようなつもりで書いた『日本の建築』は、だから、僕なりのフェミニズムを建築という題材をかりて文章にしたものであった。日本建築論、日本文化論の体裁をとってはいるが、実は、僕が書きたかったのは、日本の男性のマチズム、それをベースとして作られてきたマチズム建築としてのモダニズムに対する批判なのである。
 そのことの感謝を、どうしても上野さんに伝えたくて、この対談とあいなった。上野さんは、この本が、日本建築史であると同時に僕の個人史でもあることを見事に見抜いていた。
 対談の聴衆のかなりの部分が中国人の女性であったことにも僕は感激した。『家父長制と資本制』も、中国で翻訳されているし、僕の『10宅論』も翻訳され、中国で愛読されている。様々なものが響き合っていることが確認できて、忘れられない対談になった。

Kengo Kuma © Onebeat Breakzenya