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#74 November 12, 2025
シャルロット・ペリアン邸と小ささ
シャルロット・ペリアンが住んでいたパリの小さなアパートを訪ねた。僕の長い友人のカトリーヌ・カドゥさんとペリアンの娘ペルネットが親しいという縁があったからである。僕の70年の人生で、大小含めて様々なアパートを見てきたが、やっと最高のアパートに出会えたという、確かな実感があり、感動があった。
実は意外に思われるかもしれないが、コルビュジエをサポートした家具デザイナーとして知られるシャルロット・ペリアンは、岩波新書から出した『日本の建築』(2023)の陰の主人公なのである。『日本の建築』の隠れたメイン・テーマは、マチズモの逆転であった。マッチョな西洋対フェミニンな日本という構図を様々な実例とともに提示しながら、アンチマチズモとしての日本建築という定義を試みたのである。
しかし、一方で、日本の中にもマチズモがあって、日本の伝統的建築の礼讃が、しばしば父権的、権威主義的臭いをともなうことに、僕はずっと違和感を覚え、素直に日本礼讃に向かうことができなかったのである。西洋の伝統建築に対する批判がモダニズム建築という部分もあるのだが、一方で、モダニズムの中にもマチズモは内蔵されていて、コルビュジエはマッチョなモダニストの代表的存在である。そのモダニズム・マチズモは、時代とともに肥大化し、硬直化していって、僕はそれにも耐えられなかった。
ペリアンはそれらすべてのマチズモを徹底して批判した。その二重三重のマチズモが、重層し錯綜する日本という場所を、ペリアンは愛し、しかも同時に、自由奔放に、マチズモ批判を展開し続けたのである。彼女はコルビュジエの近くにいながら、コルビュジエのマチズモに対する最も辛辣な批判者であり、日本の民藝運動の中にひそむマチズモに対しても、容赦がなかった。その徹底的に自由なペリアンに対するオマージュとして、僕は『日本の建築』を書いたのである。
そのペリアンがパリに残したアパート──正確にいえば、エレベーターホールをはさんで向かい合う2つのアパート──は、ある意味で彼女の集大成ともいえる傑作であった。その最大の魅力はなんといっても小ささである。1970年の最初のアパートはメゾネットで、建築面積60 m2 。ペルネットから「小さすぎてママには向かないと思うけど、眺望は一見の価値あり。ほかにはないパリの景色よ。見るだけでもいいから、きてみたら」と言われていたが、ペリアンにとって、「六〇平米のアパートメントは居住不可能に見えた」(『シャルロット・ペリアン自伝』、原著1998、日本語版2009)。その60 m2 をペリアンは魔法のような手つきをもって人間の住み家に変えていた。圧巻は86cm×86cmの大きさしかない昇降口の中に、強引につっこまれた木製の螺旋階段。すなわち一段一段の踏面の幅は40cm程度。これを小柄なペルネットは、スイスイ昇っていくし、大きめな僕も苦労なく昇り降りできた。
1994年、向かい側のもうひとつのアパートが空いて、ペリアンはそれを再び改装して、もうひとつの住まい/仕事場とした。数百枚の図面を自分自身で引いて、工事が完成してすべてゴミ箱に捨ててしまったのを、ペルネットがギリギリで救出したと彼女は自慢していた。
どちらのアパートも面積が小さいだけでなくて、すべてのエレメントが小さくて、かわいくて、いいアパートとはすなわち小さいアパートだということを教えてくれた。
さらにその2つのアパートには、小さなテラスがたくさんついていて、小さな内部と小さな外部とが錯綜していた。ペリアンがアパートに求めた最も重要な場所はテラスだった。「花々に囲まれ、夕方のそよ風の香りをかぎながら、ひとつのテーブルを囲み、優しさでつくられた夜を過ごすための住まいを用意する。[中略]屋根のないテラスを見つけなければならない」(前掲書)。
その日の僕たちも、そのようなやさしい時間を、その小さな緑のテラスで過ごすことができた。小ささと庭という二つの武器を使って、彼女はすべてのマチズモを徹底的に、そして楽しく批判したのである。

Projectsときの茶屋
パリ、ヴァンドーム広場に面するリッツホテルの中庭(グランジャルダン)に一夜限りのテンポラリーな四畳半の茶室をデザインした。 一切釘やボルトなどの金属は用いず、欠きこんだ部材同士を組み合わせ嵌合と呼ばれる方法によってすべての部材を組み立てた。それは組み立て、解体の時間の短縮にもつながり、解体後様々な場所に移動して「旅する茶室」となることが計画されている。 屋根、壁はスムシコと呼ばれる4㎜巾の細い竹で作った透明なスクリーンで作られ、茶室というものが本来持っていた透明性が極限まで追求されている。 Read MoreProjects富士山の住宅
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多島海の美で知られる瀬戸内海の大島の海辺に、地元の石(大島石)と木材を使って、環境に融けるような、ひっそりとしたフレンチレストランを作った。 地元の石切り場の粗々しい表情に感動して、大島石を割肌で用い、その迫力に負けないような風化した船底板をリサイクルして組み合わせた。 アプローチはロードムービー風の植栽と枕木を組み合わせ、その枕木をそのまま進むと屋根の上から瀬戸内海を望み、海の風を感じることができる。 建物全体を一種のランドスケープとすることで、大島という場所と建築とがひとつになった。ちなみにfenuaはタヒチ語の大地のこと。 Read More