KKAA Newsletter #60 (January 20, 2026) See in English 日本語で見る

#60 October 1, 2024


 なぜか、ポルトガルの仕事が6つも重なって、ヒルサイドテラスでポルトガル×KUMAという展覧会を開くことになった。その6つのうちのひとつであるリスボンのグルベンキアン・ミュージアムの本館では、ポルトガルを代表する建築家アルヴェロ・シザの大規模な展覧会が開かれた。僕は新館の方をデザインし、新館は9月にオープンする。シザがデザインした木製家具のメーカーが、僕にも木の家具をデザインしてほしいということになり、僕が小猫の兄妹のような一対のかわいい家具をデザインし、AITAIと名付けた。僕も長くシザに「会いたい」と思っていたが、ポルトにあるシザの事務所を訪れ、僕の家具をお見せした。
 彼の年齢(91)を配慮して、10分で失礼するつもりであったが、話がはずんで、2時間になって、話がおもしろくて笑いすぎてしまった。その会話を通じて、シザという建築家の意味がわかってきただけではなく、ポルトガルという国について、その可能性について、考えを深めることができた。
 20世紀後半の世界の建築界最大のテーマは、モダニズム建築による世界の均一化と、地域の伝統の固有性にどういう折り合いをつけるかであった。1950年代に、すでに問題提起が行われ、その問いに最も真摯に答えたのは、ユーラシア大陸の東端と西端の国、日本とポルトガルであったと、僕は感じる。80年代以降、そのグローバリズム対ローカリズムという難問は、ポストモダニズムに安易に回収されて、終止符が打たれてしまった。モダニズムの定番であるコンクリートの箱に、ローカリズムのペラペラの看板を貼り付けただけのアメリカ的、表層的な解答によって、グローバリズム対ローカリズムという難問自体を、人々は忘れてしまったようだった。その忘却と思考停止に抗して、一人シザだけは大陸の西端で、一貫してその問題に向き合い続けた。成熟した建築ファンはその達成の深さを、ため息と尊敬のまなざしで見つめ続けたのである
 シザの持続を可能にしたのは何だったのだろうか。その秘密はどこにあったのだろうか。シザの同世代で、ユーラシア大陸の東端で同じ目標を共有して戦っていた槙文彦がつい最近亡くなって、シザという建築家の特質が、よりはっきり見えてきたように感じる。
 シザを支えたのは、アートとユーモアであった。2時間の会話の中で、いかに自分にとってアートが重要であったかを、彼は強調した。彫刻家を志望したが、父が「ボヘミアンはダメだ」といわれ断念したエピソード。32才で亡くした最愛の妻が、うらやむほどに才能溢れるアーティストであったという悲しいエピソード。
 そして2時間の会話自体がユーモアに富んだ語りの連続で、特に日本の天皇陛下に謁見した時の話は、抱腹絶倒であった。アートとユーモアは、人間を目前の難問から救出し、解答のヒントを与える力があるのである。槙はユーモアの人であり、槙に先立って去年亡くなった磯崎新はアートの人であった。シザはその両方を兼ね備えることで、モダニズム建築が直面した困難を乗り越えたのである。

 もうひとつシザに関してずっと気になっていたのは、シザの弟子のソウト・デモラによる皮肉をこめた一言である。シザの先生にあたり、モダニズム批判において世界の先頭を切ったポルトガルの建築家フェルナンド・タヴォラとシザを比較して「タヴォラが脚本を書き、シザは役者として演じた」と、ソウト・デモラは言説鋭く、間違いなくグローバリズムの批判の先駆者であったが、実作は残念ながらシザの作品のように心を深く打つものがない。
シザの建築が人を打つのは、そこにポルトガルという魅力的なステージがあるからだとソウト・デモラは語っているのである。役者とは生の身体を、生のステージの上で人にさらすワザに長けた人間の別名である。タヴォラはステージを上手に使うことをしなかった。ゆえに役者にはならなかった。シザにはポルトガルというステージの可能性を使い切り、その上で見事に演じた。だからポルトガルというステージはシザに占領されて、外国の建築家がそこで仕事をするチャンスはきわめて少なかった。例外はポルトで劇場を作ったコールハースとクマケンゴぐらいだよとポルトガルの建築家から指摘された。
 僕の建築がポルトガルで、なぜ受け入れられているのだろうか。ひとつにはポルトガル自体の変質ということがあるだろう。ユーラシア大陸の東端(日本)の近代化にくらべてタイムラグがあったが、長く静かな国であったポルトガルへの投資も活発になり、あのゆったりとしてやさしい国は、違う国へとなりつつある。
 とはいっても、大陸の端部という場所性は保存されていることを感じる。それが東端の僕と響き合うのだろうか。とすれば、大陸の端部とは、そもそもどのような特質を有する場所なのだろうか。
 大陸の端部は、そもそもその先に大海があって、最果ての地である。様々な人、物が流れ着いてその先がない。そのような果ての地は、歴史の古層が沈殿する場所であり、原初が保存される場所であると、民俗学者は指摘する。日本もポルトガルも、そのような特殊なエッジにあり、そこに保持された古層が、大陸の中央から流れてきたモダニズムという新しい層に抵抗するのである。その抵抗の緊張の中から、丹下や槙などの日本独特のモダニズムが生まれ、また海と土の香りのするシザの建築が創造されたように、僕は感じるのである。2時間のシザとの会話を通じて、自分の頭の中が整理されていった。ユーラシア大陸のエッジを、僕もまた引き受けて、物を作っていこうという決意のようなものが、めばえた。

Kengo Kuma © Onebeat Breakzenya

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