スペイン、バスク地方のサン・セバスチャン大学で講演をし、バスクの彫刻家エドワルド・チギーダ(1924-2002 Eduardo Chillida Juantegui)が人生の最後に作った彫刻公園レク(バスク語の「場所」、ラテン語だとlocus)を訪れた。
バスクの文化には、もともと関心があった。ジェズイット(イエズス会)の中学・高校で教育を受けて、バスク出身のオレギ神父に、とてもよくしてもらった。彼は日本語が驚くほど上手で、日本語とバスク語は似ているといっていた。日本とバスクの類似については、多くの研究があって、どちらの文化も自然に対するリスペクトがその根底にあるといわれる。世界で、うまい魚料理が作れるのは、日本人とバスク人だけだという俗説もある。事実、サン・セバスチャンのミシュランを獲得したレストランの数は、人口当たり、世界最大である。
レクで最もおもしろかったのは、チギーダがグラビテーションと呼んだ、独特のアートの展示の方法である。スケッチを木の額縁の中に飾る時、彼はノリで固定せずに、細い糸で糸を吊り下げて固定していたのである。(写真)。彼はノリによって、紙が汚れることを嫌って、この方法を採用したと、キュレーターは説明していた。この方法によって、紙が台紙を密着せず、その2枚の紙の間にできる影が大事だと、彼は語っていた。厚いフェルトを重ねた作品も展示されていて(写真)、フェルトも同じように上から糸で吊られ、フェルトとフェルトの間には、影ができていた。そこには紙という繊細な物質に対する、強い尊敬が感じられた。物と物とを同面(ドーズラ)におさめずに、その間に影を作るというのは、KKAAの基本的な手法である。物と物との隙間の小さな影によって、それぞれの物が生命を持つ。チギーダが同じことを考えていたことを知って、あらためて日本とバスクとの相似性を確認できることができた。
もうひとつ興味をひかれたのは、チギーダが徹底して、物質が無垢(solid)であることにこだわった事。金属の彫刻も石を使ってもすべて、はり物ではなく無垢であり、たたくと重い音がした。アンソニー・カロなどの金属へのスタンスとは異なる物質へのリスペクトが感じられた。KKAAも、無垢にこだわってきて、広重美術館の無垢の鉄の柱、石の美術館の石の塊で作ったルーバーを説明した時、林昌二さんは、「隈さんは無垢の建築家なんだね」とつぶやいた。
庭園で、心をひかれたのは、光に対するチギーダの考え方だった。彫刻には照明をあてずに、庭園の中の樹木にだけ光を当てるというのが、彼の指示であったという。彫刻作品を自然に融かしていくために、彼は自然の方に少しだけ加担し、人為的なものを控え目にあつかい、両者のバランスをとったのだと思われる。この自然と人工物との間のバランスのとり方は、とても参考になった。
グラビテーションの一例
フェルトの作品