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#62 October 25, 2024


去年の暮れに『日本の建築』という本を岩波書店から出した。日本の建築史全体の総括が、同時に自分の人生全体の総括に重なるという、一種の入れ子構造を試みた。それは思想と建築の入れ子であるし、社会と自分との入れ子構造の探求でもある。この僕自身と社会をつなぐ入れ子構造を、思想家や建築史家がどう読み、どう感じたかに興味があって、対話の機会を設けた。

一回目の対話は2月19日に麻布台ヒルズで、上野千鶴子さんと行ったトークである。そこでは僕の処女作『10宅論』という、日本社会への一種のヤツ当たりのような本を「発見」し、僕を思想の世界にいざなってくれた上野さんと会話し、建築界のアンファンテリブル(鈴木博之の「10宅論」への評)であった僕の本質がマチズム批判であることを再発見した。日本建築史という、じじくさくマチズムに陥りやすいテーマを、どう解体し開くかで盛り上がった。このトークには、驚くほど多くの中国人が聴きにきてくれて、中国の若者の前で『日本の建築』を論じるという、またとない体験だった。

2回目は、東大の安田講堂で、日本の建築アカデミズムをリードする建築構法の松村秀一先生、藤田香織先生、西洋建築史の加藤耕一先生、日本建築史の海野聡先生、そして思想家の東浩紀さんと対話した。『日本の建築』の要点について議論を進めていくと、予想外にも、論理と物質という第二の主題が浮上してきた。論理はコンシスタンシー(一貫性)を希求するが、物質は絶えずそれを裏切り続けるというのである。その裏切りの結果として、雑音が生じ、ゆらぎが発生するというわけである。

東浩紀さんは近年、「訂正」という行為を、人間の最も重要な活動として再定義することを試みている。僕は「揺らぎ続ける日本建築史」を、「訂正の連続しての日本建築史」と言い換えようとしていて、今回彼をこの対話の場に引きずり出した。訂正の原動力となっているのは、論理と物質、言葉と物との宿命的なギャップではないかという東さんからのヒントは貴重だった。中国や欧米といった他者からの影響によって日本がゆらぐというのが、日本ゆらぎ論の一般的な構えであるが、そこで物質という概念が登場したのは、新鮮だった。

この話なら、今回をお招きした建築構法のエンジニアリング専門の先生方にも、とっつきがいい話である。そして、中国と西欧の文化が論理先導型であるのに対し、日本文化が物質優先型の、ある種の古代性を保存していることを考えると、このテーマは、歴史家にとっても魅力的なテーマだろう。

そこですぐに僕が思い出したのが、僕の恩師である建築家、原広司が若い頃岩波の「世界」(1977)に書いた「〈もの〉からの反撃」であった。僕が原研究室の修士課程に進んでまもない頃に発表されたこの論文は、原先生と同じく内田祥哉のもとで建築構法、すなわち物質のエンジニアリングを学んできた僕に対して、とても大きな勇気を与えてくれた。当時、原広司は、岩波書店主催の文化人の勉強会に招かれたばかりで、その勉強会での大江健三郎や武満徹、中村雄二郎との出会いの衝撃について、しばしば興奮した口ぶりで熱く語っていた。

その勉強会での思想家達と対話の中から原広司は自分には〈もの〉という大きな味方がいることを発見したのである。「〈もの〉」を味方にし、それを基礎として考え、深めていけば、ひょっとすると、自分には言葉や音楽を道具とする人間には到達できない領域に踏み込めるかもしれるかもしれないというのが、「ものからの反撃」という小論の主旨であり、僕は大いに勇気と将来の希望をもらうことできたのである。

その原のテキストに出会った時の感激が、東さんの指摘を聞いて、久しぶりによみがえった。原が、大江達との出会いによって、建築家として、そして思想家として大転換をとげ、別の次元の思索に踏み込んでいったように、僕もその時の原のすぐ脇にいたことで、思想の基礎のようなものを手にいれることができたのである。

Kengo Kuma © Onebeat Breakzenya

ProjectsUCCA陶美術館紫泥を用いた陶器の生産地として名高く、「陶都」と呼ばれる宜興市に、陶文化を展示する美術館をデザインした。敷地はかつて陶器工場やアトリエが建ち並び、宜興の陶文化の中心地であった場所で、再開発のマスタープランに沿って、稼働を終えた工場の遺構を生かしながら、アトリエ、ワークショップを含む陶芸文化のセンターを創造した。 陶器の山のようなヴォリュームは、北宋時代の文豪・蘇東坡が愛した敷地に近い蜀山や、600 … Read More