学生の頃から、影響を受け教わり、様々な形での対話を続けてきた松岡正剛さんが亡くなられた。特に最後の10年、角川武蔵野美術館の立ち上げと、琵琶湖を中心とする滋賀を盛り上げる、近江ARSプロジェクトでは、濃密な時間を一緒にすごさせていただいた。この時間は一生の宝物であり、これからも二人の時間を抱きしめ、かみしめながら生きていきたいと感じている。
その中で、忘れられないいくつかの瞬間がある。ひとつは武蔵野美術館の「本棚劇場」を一緒にデザインした時の、本棚と照明への、松岡さんの異常ともいえるこだわり。松岡さんのような、言葉で仕事をしている人と建築家がコラボレーションを行う時、言葉の人からコンセプトを与えられて、個々のディテールは建築家にまかせるというのが、一般的である。しかし、松岡さんの場合は全く逆であった。なんと、本を置く棚板のディテールから、松岡さんの思考はスタートするのである。未来の図書館、文化施設はどうあるべきかということについての、とてつもなく射程が長く大きな構想が、目の前の小さな棚板のエッジの形状からはじまるのである。棚板はブツ切れになってズレながら、バチり(斜めになること)ながら、空間の中を浮遊し、彷徨うのである。
なぜズレてバチッらなければならないのか。松岡さんは左手で持ったスマホの画面を、右手を素早く動かしてスクロールする動作を示しながらその理由を説明した。そのスクロールのスピードとリズムに対応するのが、この棚板のブチブチときれ、ランダムに交錯するエッジだというわけである。
身体の動作と脳の活動が、一枚の棚のディテールとなって物質化され、その棚が限りなく雲のように集積したものが、未来の図書館の姿なのだという、松岡さんの説明に、僕はうっとりとしながら聞き入った。スクロールをする動作の美しさ、それは説明というよりも、ひとつの演劇であった。
それが演劇と僕の目に映ったのは、松岡さんが早稲田の演劇部に所属していたということを聞いていたからもしれない。しかもおもしろいことに、松岡さんは照明を担当し、役者をどう照らすか、舞台にどのような光を与えるかを、黙々と取り組み続けたというのである。
そのこだわり方に、松岡正剛というたぐいまれな思想家の本質があるように、僕は感じた。そして僕自身の建築的方法もまた、物をどう照らすかに、特別な関心とこだわりがある。それゆえに松岡さんの演劇部におけるエピソードに深く共感し、松岡さんの親近感が、さらに強くなるのを感じたのである。
光から演劇の世界にはいっていくというアプローチは、世界に対して松岡さんがどのように関わっていたかを考える上で、大きなヒントとなる。松岡さんはまず世界は暗闇であると感じている。その意味で、松岡さんは徹底的なペシミストであった。しかしそれは人間の不幸を意味しない。人間はそこに光を持ち込んで、どんなものをも出現させえる、無限の自由を有しているのである。
闇が深ければ深いだけ、自由は大きく、幸せは大きい。そして演劇において重要なことは、舞台が、世界という巨大なものからみれば、きわめて小さいということである。舞台が小さいということを知っている点で、松岡さんのペシミズムはさらに深まる。しかし小さいからこそ、そこにはいかなるものも出現させる自由が存在する。松岡さんは舞台の照明係をやりながら、そのパラドクスを発見したに違いない。
僕もまた、この思考形式を共有している。ペシミズムとオプティミズムの重合を共有している。自分がかかわることのできる建築という舞台は、世界の大きな闇の中でみれば、驚くほどに小さくて、僕の前にはちっぽけな隙間が用意されているといってもいい。しかし、そこが小さくて闇に包まれているからこそ、僕には無限の自由がある。そこに出現させたものを、僕はこれこそが世界だと胸をはって、人々に差し出すことができる。
それが建築というもの、演劇というものの本質であると、僕は信じている。その認識を共有していたからこそ、松岡さんと僕はこれほどに楽しく、対話をし続けることができた。このちっぽけなものの可能性に、松岡さんは人生のすべてを架けたのである。僕もまた同じように人生を架けて取り組んでいる。