ニューヨークタイムズ・マガジンが、僕のことを取り上げて、ニキル・サヴァルというジャーナリストが面白い記事を書いてくれた。色々な人から立体的に取材して、日本という社会の中でのKKAAの立ち位置、役割、僕らの課題までが浮き彫りにされていて、さすがNYTだと思った。中でも一番面白かったのは、結びでの一文で、「南三陸のさんさん商店街は、負ける建築でもなく、弱い建築でもなく、灯台(beacon)のようだった」と、彼は結んだのである。
僕は90年代に「負ける建築」とか「弱い建築」ということを言い出し、「負ける建築」が世界で知られることになったので、最近の僕らの大きな建築、たとえばV&Aに対して、しばしば「負けていますか」と聞かれる。僕は90年代に、先行世代の形態本位の建築を批判して「負ける建築」を提唱した。ポスト工業化の少子高齢化社会が何を僕らに求めているかを見すえて、「負ける」という言葉にたどりついた。V&Aでは、同じように国家を超えた新しいアイデンティティを捜しているスコットランドが、僕らに何を求めているかに耳をすまし、スコットランドがんばれ、という気持ちであの形態に到達した。建築を武器として、スコットランドを元気にし、盛り立てようという気持ちが内側から盛り上がってきた。川に接する特殊な敷地に、従来のハコ的な目立ち方ではなく、しかも川という大自然の強さに負けることがないような強さを追求して、スコットランドの崖のような、粒とリズムに到達した。
その新しい一歩を何という言葉で説明していいのか、自分でもまだわからない。とりあえずは、従来試みられてきた、建築の自然化ではなく、自然の建築化をめざしていると説明している。正確に言語化はできないけれども、少なくとも、前を向いて、時代の行く末を照らす建築を作りたいという思いがあった。90年代の「負ける」気分をこえて、3.11後の時代の地方の時代、場所の時代をポジティブにさぐりたいという思いがあった。その時代の行く末を捜したいという気持ちに気づいたニキル・サヴァルが灯台という言葉を見つけてくれて、その一歩をさらに進める勇気をもらった。
https://www.nytimes.com/2018/02/15/t-magazine/kengo-kuma-architect.html