ゴールデンウィークにネパールのカトマンズを訪ねた。2015年の大地震の被害からの再建はまったく進んでおらず、街のすべてがほこりだらけであり、また有名な電線だらけ(写真)であったが、不思議な魅力に溢れていて、圧倒された。
特に魅力を感じたのは、屋根の長いキャンチレバーを支える、斜めの構造体である(写真)。線または屋根のキャンチレバーをどう支えるかは、雨の多いアジアの建築の最大のテーマであり、またデザインの見せ場であると僕は考えている。モダニズムの建築の軒の出ない建築の模倣にあけくれていた戦後日本建築は、この部分で、まったく努力を怠ってきた。僕はその軒下にこそ、デザインの最大のチャンスがあると考えていて、新国立競技場は「軒下の建築」であると考えている。
この新国立と同じような軒下の断面形が、ネパールにはたくさん発見できて、嬉しかった。中国建築は斗栱と呼ばれる、水平材と垂直材を組み合わせるシステムで、軒を支えてきた。ネパールの、斜材を使って長い軒を支えるシステムは、斗栱のまどろっこしさにはない力強さがありながら、斜材の細さによって、きわめて繊細な表情をかもし出していた。素朴でありながら、繊細なシステムに共感を覚えた。
ネパールに対するもうひとつの興味は、僕の中学校時代の恩師であるイエズス会の大木実神父(1927-2016)が、人生最後の30年間を、ネパールのポカラで送ったことである。大木神父は、僕にとって誰よりもコワイ神父様で、彼の透き通る目で見つめられると、自分のダメさ、いい加減さが、すべて見通されているようで、いつも震えるような気持ちになった。大木神父と僕の関係については、大津若果さんが、「隈研吾という身体」(2018)の中で、詳しく調べて、書き残してくれた。大木神父は、ポカラで30年間、障碍者のための学校の建設に携わった。カトマンズの日本大使館でレクチャーをしたが、聴講して頂いた日本人で、大木神父をよく知っている方がいて、神父の魅力と怖さについて語りあうことができた。
今回は残念ながらポカラにはいけず、大木神父が建てた学校を訪ねることはできなかったが、ここは必ず訪ねなくてはいけない場所だと感じた。大木神父がいなければ、今の僕はないと思うからである。