オリンピック開会式に予定されていた7月24日の前夜の20時から、国立競技場でイベントが開かれた。池江璃花子選手が、無人の会場の真ん中に、一人立ち、白い衣装に身を包んでゆっくりと話したメッセージは感動的だった。
演出は僕の友人のクリエイティブ・ディレクター、佐々木宏。ソフトバンクの犬のCM、サントリーのBOSSのCMで知られるが、リオ・オリンピック閉会式のスーパーマリオの演出も彼の手になる。東大の建築学科でも、『これからの建築理論T-ADS TEXTS01 / ARCHITECTURAL THEORY NOW』のブックデザインをお願いして、丹下健三の代々木体育館をギョーザに見立ててくれた。 笑わせながら、同時に、人間性の本質を垣間見させてくれる佐々木さんのセンスから、いつも色々なヒントをもらってきた。
なかでも今回の池江のメッセージは抜群で、来年どんなオリンピックのセレモニーが行われたとしても、このメッセージの力にはかなわないのではないかと感じられた。
国立競技場の使い方も秀逸で、僕らがデザインした5色モザイクの椅子が、人がいるような、いないような境界的状態を創造していた。突飛なたとえだが、国立競技場が能舞台のように見えた。能という芸術を完成させた世阿弥(1363-1443)は、複式夢幻能という形式を考案し、その舞台の主役(シテ)は必ず神・霊・精などの超自然的存在、すなわちある意味死んだ者であった。演劇の全体がワキの見た幻であるという形式は、世阿弥の発明であり、僕は「森舞台」(1997)をデザインする時に、複式夢幻能とヴォイドとしての空間について思考した。コロナによって、生と死の境界が消えてしまったように感じられる今、という時の本質を、佐々木さんは見事に可視化してくれた。この瞬間を持てたことで、国立競技場も喜んでいると思う。