村野藤吾と大地との接続
村野藤吾先生のお孫さんにあたる、アーティストのアバロス村野敦子さんから連絡があった。彼女とは、2月のパリの日本文化会館で開催されたシンポジウム「村野藤吾の建築を巡って」でお会いし、村野先生の故郷の家の跡から撮影した佐賀の海の、美しい動画作品を見せて頂き、おだやかな波の様子が、今だに眼にこびりついている。

今回の連絡は、村野先生の傑作、八ヶ岳美術館で敦子さんが行う講演会(9月11日)の中で、僕の村野論(「商品の対極にあるもの」)を朗読してもいいかという申し出であった。八ヶ岳美術館は取り壊しも含めて将来活用についての議論があがっており、敦子さんとしてはこの建物の重要性を強くアピールしたいということで、八ヶ岳美術館を念頭において書いた拙文を想い出したそうである。
この小論の焦点は、コルビュジエ流の「大地からの切断」にかわる、「大地と人間の再接合」としての村野であった。その「再接合」の代表作が森の大地から「生えた」ような八ヶ岳美術館だと僕は感じて、論を進めた。
「切断から接続へ」を僕が主張し、実践し続けるのは、「切断」の時代は、建築を売買のための商品とする時代であり、簡単に使い捨てにする時代だと考えるからである。八ヶ岳美術館はアンチ切断のシンボル的建築として、長く大事に使われ、大地と共に生き続けてもらわなければ困るのである。

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商品の対極にあるもの
隈 研吾
村野の建築について考えていくと、思わぬ場所、思わぬ結論にたどり着いてしまいそうで、はっとする事がある。こんな結論は本当にありなんだろうかと、自分で自分に驚いてためらってしまうのである。それは、しぶく優雅な作風で知られる老人について考えていたはずなのに、いつのまにか近代とは何だったのか、建築における近代化とは何だったのかというラジカル的な問いへと向かってしまうのである。
この思考の小さな旅を始めると、いつも決まって、脳の画面のもう一方に、村野の建築の反対側の隅に、ぶっきらぼうな白い箱が登場する。コルビュジエの設計した、かの《サヴォワ邸》である。モダニズム建築の最高傑作といわれるあの白い住宅は、なぜ地面から、あそこまで無理をして浮いているのであろうか。コルビュジエは「無理をして」浮かせた訳ではないとして、あの場所は湿気が多くて浮かせる必要があったとか、車が建物の下で回転するとか、様々な理屈をつけてはいるが、現地を何度訪ねてみても、接地させて大地と直接会話させた方がよほど快適な住宅ができるのにという気持ちは変わらなかった。見事に浮かされた事によって、あの建築物はモダニズムの最高傑作の称号を獲得した。逆に、全く逆に、村野は建築と地面とを融かし合わせようとした。《日本ルーテル神学大学》や《八ヶ岳美術館》の、土と建築との接点の奇妙なディテールが今、頭に浮かんでいる。《新高輪プリンスホテル》の「飛天」へと続く赤いカーペットが徐々に白さを増していって、壁面の材料が土の上にもまちがってこぼれてしまったように、いつの間にか白い壁へとスムーズに変身していくあのユニークなディテールも記憶の中によみがえってきた。なぜコルビュジエは、無理をしてまで建築と土とを切ろうとし、なぜ村野は執拗に建築と土とを融かし、つなごうとしたのだろうか。
「商品は命がけの跳躍をする」というマルクスの言葉に、村野が特別の関心を抱いていたという事を知った時、多くの謎が解けたような気になった。マルクスが指摘したのは、簡単にいえば、こんな現実である。近代以前には、あらゆる物は、命がけの跳躍などする必要がなかった。できあがった物を発注者にひきとってもらえばよかった。リスクはなかったし、跳躍は必要なかった。しかし、近代には、こんな悠長なことはいっていられなくなった。スタンダードな商品をとりあえずたくさん作らなければ、話は始まらなくなった。その商品が売れて、誰かにひきとられる保証は、実のところどこにもない。まったくもって命がけの跳躍であった。長期的に、そして天の上から俯瞰的に眺めれば、需要と供給の一致点で、ひきとり手は見つかる「はず」なのかもしれないが、実際にこの地上に立って、製造と売買の現場に携わるものにとって見れば、この交換の現場には何の保証も存在しない。
コルビュジエはこの殺伐とした状況を敢えて積極的に肯定した。建築もまた、スタンダードな商品と化し、商品の名にふさわしいだけの充分な流動性を獲得しなければならないと考えた。その目的のために彼は単純な幾何学的形態を追求し、モデュロールによって寸法の規格化を行い、デパートで売られて家に持ち帰られる家電製品のように、建築は地面から切断され、架空の流動性をデザインの力で偽装したのである。コルビュジエの前半生はその目的に費やされ、その集大成が《サヴォワ邸》であった。
一方、村野は、その同じ殺伐とした時代を生きながら、敢えてコルビュジエの全く逆をいった。すべてが商品としての流動性へと流れていく時代だからこそ、建築は流動性とは逆の途を歩まなければならず、いよいよ抜き差しならぬほどに、地面と密着しなければならないと、村野は同じ状況の中で逆ばりをしたのである。その思想を言葉ではなく、建築をもって徹底的に物質化し、その物質をもって人々を説得しようと試みたのが、村野の人生であった。それは、単に時代の流れへの抵抗というほどに単純なものではなかった。建築とはそもそも、商品になりきれるわけではないという確信があったからこそ、村野にはこの逆ばりができたのである。
その確信の背後に、日本、特に関西の建築文化があったことは間違いがない。家とはそもそも売ったり買ったりする対象ではなく、お抱えの大工が始終出入りして、だらだらと手直しし続ける存在なのである。売買という「点」のような時間に規定されるのが商品であるとするならば、建築とは、「線」のような無限に連続する時間構造に規定されるものだという確信を、村野は日本から、関西から学び、身体化していたのである。
しかも、この逆ばりは、今日の状況から眺めると、日本の伝統への回帰という後ろ向き、懐古的なものというよりは、むしろ、時代の先行きを読んだ予言的なものにも見えるのである。20世紀という大量生産、大量消費の時代だからこそ、スタンダードな商品が、命がけの跳躍をしなければならなかった。今日の繊細で高度なマーケティング、多品種少量生産を可能とする繊細な生産技術、そして多様化した消費者の行動様式は、商品に命がけの跳躍を強要しない方向へと進んでいる。「物=商品」を中心に経済が動いていた時代は終わり、小さなものの代わりに金融商品やブランドや企業そのもの、果ては都市の一部分などの得体のしれない存在の売買が経済を動かす時代の中に、すでにわれわれは突入している。その経済システムの転換の中で、かつて「商品」と呼ばれていた小さな物達と、われわれとの関係も大きく変わりつつある。「小さな商品」は経済の中心の少し外側のゆっくりとした場所にいて、僕らの多様性・固有性と、商品の多様性・固有性とが、時にはフェティッシュとも呼べるような濃密な関係、物質と身体とが直接に響き合い、抱きしめあうようなセンシュアルな関係へと向かっているのである。
とするならば、全くもって村野のやった事は、後ろ向きではなく、予言的であった。先述したように、まず切断のかわりに地面との密着があった。その土と異様なほどに密着した物質を使って彼が行った事は、懐古的どころではなく、きわめて現代的な実験そのものであった。まず物を徹底的に薄くしていくこと。あやうく感じるほどに薄くすることで、その物は新たな表情を見せ、われわれは新たな感情をその物に対して抱き始める。薄さは軽さにも通じるが、その軽さは《サヴォワ邸》のように、建築を地から切る軽さではなく、大地に根の生えた、大地と一体化した軽さなのである。その薄さ、軽さは、時として建築を衣服にも漸近させ、土と建築との境界が喪失していっただけではなく、建築よりも小さく軽い物達──例えば衣服、家具、道具たち──と建築との境界も次々と消滅していくのである。そして最後にすべての物質が一体となって、身体のまわりを取り囲み、身体と濃密な会話を始めるのである。
さらに光と物質との境界も、村野は消滅させようとした。紙や布と光とがたくみに組み合わされて、そこには、光とも物質とも見分けがつかない別の領域が出現し、さらに光る貝殻のような通常建築では用いられる事のない物質までもが総動員されて、「物質」対「光」という古典的な分割が、次々と否定されていったのである。村野の作品と僕らの作品は、同じ棚の中に飾られているかもしれない。大地、物質、光といった分節が消滅し、すべてが繊細な身体のまわりを優しく包みこみ、点滅を繰り返すのである。
ここ数年の建築界の新しい動きと思われているものは、村野が行ってきたこれらの建築的創意の反復であるように、僕には感じられる。ファッションビルのファサードで、小さな住宅や飲食店のデザインで、われわれは村野と同じように、物を薄くし、軽くし、透かし、そして光と物質との境界を壊そうと努めてきた。村野と違ったのはクライアントだけだったかもしれない。村野を支えたクライアントと、われわれを支えたクライアントは大きく異なっている。村野を支えたのは、どちらかといえば前近代的な体質を持った人々であり、われわれを支えているのはポスト20世紀的、脱近代的体質を持った人々である。しかしあと100年もたって残された物質だけをなぞってみれば、そんな差異は感じられなくなり、見えなくなるかもしれない。それほどに村野は僕にとって身近であり、生々しい。
(初出:『村野藤吾:建築とインテリア ひとをつくる空間の美学(「村野藤吾」展公式カタログ)』、アーキメディア、2008)

パリ日本文化会館にて行われるシンポジウムに隈研吾が登壇いたします。 テーマ:村野藤吾の建築を巡って 日時:2025年2月11日(火)18:30~21:00(フランス時間) 会場:パリ日本文化会館 大ホール (101 bis quai Jacques Chirac 75015 Paris) 言語:日本語およびフランス語(逐次通訳付き) * オンラインライブ配信あり (パリ日本文化会館公式YouTub … Read More