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#80 March 16, 2026
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の舞台を観て
デンマーク、オーデンセのアンデルセン・ミュージアムで、村上春樹さんと初めて会った。10年前の2016年の秋である。その出会いから様々なものが始まり、早稲田大学にわれわれが設計した村上春樹ライブラリー(2021)も、このオーデンセの出会いが出発点であった。
その日、ハンス・クリスチャン・アンデルセン文学賞を受賞した春樹さんの授賞式が、アンデルセンの小さな生家の隣のミュージアムで行われた。僕は、その2か月前に、このミュージアムの建て替えのコンペで、設計者に選定され、授賞式に招待されていた。
そこで聞いた春樹さんのスピーチは、僕がそれまでに体験した、どんなスピーチとも違っていて、体が震えるような感動を覚えた。
そこで春樹さんは、アンデルセンの文学に鋭く切り込み、その本質に影があることを指摘し、影がない物語は人の心に深く届かないという、文学の最も重要なことを指摘した。影を排除した世界では、光もまた薄っぺらいと言い切った。
そのスピーチは、いわゆる形式的な挨拶とはほど遠く、それ自体が深い文学論であり、それ自体がひとつの作品であった。会場は感動に包まれてシーンとし、やがて大きな拍手がわいた。
童話なのにアンデルセンはなぜ、こんなに救いのない結末なのだろうかと、子供の僕は感じ、なぜ善悪が単純に割り切れないのだろうかと不思議にも思ってきた。それらはすべて、影に対するアンデルセンの誠実さから来るものだと春樹さんから指摘され、目からウロコが落ち、僕らがこれから設計するアンデルセン・ミュージアムに、何が一番必要かが、はっきりと見えてきた。
これからずっと影を主役にして建築を作っていこう、影を目指して作っていこうという、大きなビジョン、強い希望が、内側から湧き上がってくるのを感じた。このスピーチを聞かなかったら、僕の人生は全く違ったものになり、建築もまた違った姿をしていたとすら思える。
そして今晩、影をテーマとする「世界の終り」の舞台に出会ったのである。影を演じる役者は照明の具合によるのか、メークによるのか、そこに間違いなくいるにもかかわらず、まったく表情もテクスチャーも確認できず、その意味において、不思議なほどに見えなかった。
影と同様に、壁もまた、現実とも幻想ともつかない極めて不確かなものとして描かれていた。僕の住む街を取り囲む壁は、スケスケの布でできたフワフワと動きまわる不思議な存在だったのである。壁の存在感を、どれだけ希薄にできるかという僕の建築家としての50年間の苦闘が、あまりに正確にあからさまに舞台の上に表現されていて、唖然としてしまった。
春樹さんにとって影は心という存在と深く結びつき、また壁は、意識というものと深く結びついている。福岡伸一は、舞台解説でそう指摘している。意識はロゴス、心はピュシス(生命)に対応し、その二つに引き裂かれるわれわれの世界を、春樹さんは、「私」と「僕」という二つの存在が住む、パラレルワールドとして描いたという、福岡流の明快な整理である。その二つの世界の差異を、春樹さんは、日本語で「私」と「僕」の違いを使って表現し、パラレルワールドを言語化したのだが、英語だと共にIになってしまうので、翻訳不能となる。この困難に直面した訳者のアルフレッド・バーンバウムが、「私」が住む世界の章は過去形、「僕」が住む世界の章は現在形で訳したというのは、有名なエピソードである。時制というものによって、主体と客体との間に存在する微妙な距離感の差異が表現できるのだという、翻訳史に残る大発明であった。
このバーンバウムに、僕の著作『小さな建築』、『自然な建築』の英訳(AA出版、2015)をお願いした。この本の中には、小さくて曖昧で、影の中に消えてしまいそうな建築の話が、たくさん出てくる。半透明で消えてしまいそうなフワフワと動くあいまいな壁を作りたいという、僕の気持ち、その矛盾した願望を、バーンバウムは見事に英語にしてくれた。
今日の舞台をきっかけにして、いろいろなことがよみがえり、あらためて、ロゴスとピュシスについて考えた。建築をデザインする時、われわれは大きくロゴスに依存するが、いざ出来上がった建築はピュシスを媒介として、人々のものとなる。その意味で、建築も都市もロゴスとピュシスによって引き裂かれる。そして引き裂かれてしまうがゆえに、建築は過去と現在、構築と現象とをつなぐ重要な役割もはたすのである。
バーンバウムの発見した時制というツールを媒介にして、建築家と建築の受け手について、建築と時間についても、想像がつぎつぎ拡がっていった。そんな豊かな演劇的体験であった。

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