Glass House
約30年振りで、フィリップ・ジョンソン(1906-2005)のGlass House(1949)を訪れた。第一回目の訪問の時は、A+Uの編集長であった中村敏男さんと一緒で、ジョンソンが隅から隅まで、まるで自分のおもちゃを自慢する子供のような感じで、一緒にまわってくれた。ジョンソンは、1930年代のモダニズム運動をアメリカに広めた仕掛け人であり、その後も80年代の、20世紀建築界の最大のフィクサー、ディコンストラクティビズムの影の仕掛け人と呼ばれる。
第一回目の訪問の時の結論は、ジョンソンは「蒐集の人だ」というものであった。Glass House、レンガの家、池のパビリオンをはじめとして、建築物自体が蒐集の対象であったが、絵画、彫刻のコレクションも膨大で、彼はそれを見せる時、実に自慢げであった。蒐集という欲望は、西欧近代を動かした巨大なエンジンであった。彼のモダニズム、ポストモダニズム、ディコンストラクティビズムという遍歴は、節操がないと陰口をたたかれたが、様々なものを収集するのが蒐集の本質であるのだから、彼は少しも変節していないわけであり、一貫しているのであると感じた。
僕にはまったく蒐集癖がない。自分の家も小さいし、物を持つ、ため込むということが大嫌いである。蒐集ではなく、旅することが僕を廻している大きなエンジンなのだと思う。その意味では、先月見たコルビュジエの粗末な自邸に、共感を覚えた。
今回のGlass House訪問は、ジョンソンが亡くなって、ジョンソン財団の運営するミュージアムとなったこの広大な庭園からの招待を受けてのもので、ジョンソンと僕、アメリカと日本の交流についてのレクチャーを行った。
建築群については、前回の訪問と、また別の印象を持った。訪れた時代が違うと、建築物に対する印象は随分と変わるのだなあと思った。まず第一に、Glass Houseの平面形9.86m×16.76m が、無駄に大きすぎて、間延びして見えた。この家から1マイルほどの距離の、ニューキャナンの森の中に、僕はGlass / Woodという家をデザインしていて(2010)、この家は、ジョンソンと僕との差というものをテーマとした家である。この家の巾4.95mのガラスボックスというスケール感とくらべて、Glass Houseの平面形は、何かアメリカのオフィスビルのワンフロアに通されたようで、だぶついて感じられた。前の時は、そんなことはまったく感じなかった。ガラスボックスの巾が狭いことで、Glass / Woodにいると、いつも森が近く感じられる。
ミースがこのGlass Houseを案内されて、嫌いで不機嫌になったという有名なエピソードがある。多分、自分のバルセロナパビリオンをはじめとする、Glass Boxのアイデアを剽窃されたという想いもあっただろうが、ミースは、「天井が高すぎる」といったそうである。天井高は3.18mである。僕は逆に、天井が高いとは感じず、その白くのっぺりとしたオフィスビルのような天井の質感はものたりなかった。Glass / Woodの木のジョイストの、構造を露出した感じと比較して、そう感じたのかもしれない。ジョンソンは、均質なフロアを積み重ねるという、「アメリカの時代」の子だった。僕は随分と遠い場所にいるなあと、あらためて感じた。ジョンソンの元所員も2人レクチャーに来てくれていて、僕のスライドショーを見た後で、「一緒に日本で仕事がしたいなあ」といってくれたのが、なによりも嬉しかった。
Glass / Wood