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#27 December 31, 2019


 A.C.C(アジアン・カルチュラル・カウンシル)から、A.C.Cの創立者であるJ.D. ロックフェラー3rd氏の名を冠した賞を頂いた。A.C.Cと共に活動しているジャパン・ソサエティでレクチャー、お祝いのガラ・ディナーがあり、NYの2日間は、あっという間だった。
 思い起こしてみれば、1985年に、A.C.Cのグラントを頂いてNYにやってきたことが、僕の建築家としてのキャリアの起点であった。村上春樹は、「1Q84」の中で、1Q84を境にして、月が2つに割れて、2個の月が夜空に浮かぶようになったと記述して、1984年が時代の分岐点であることを暗示しているが、僕にとっては、1985年が新しい時代のはじまりでもあった。
 未来の建築についての答えを見つけたくて、NYにやってきた。幸い、アジアのアーティストを支援するA.C.Cのグラントに応募したら、当時、審査員の磯崎さんが推してくれたおかげで、1年間自由にNYで研究できるのに充分なグラントを頂くことができた。その後、建築関係でこのグラントをもらった人はいないので、僕は全くラッキーであった。
 A.C.Cは、単に資金的にサポートをして頂けただけではなく、全く無名の僕を、様々な建築家と引き合わせてくれた。フィリップ・ジョンソンのニューキャナンのグラスハウスを訪ねたり、アイゼンマンやゲーリーなどの事務所を訪ねて、直接インタビューをすることができた。ロックフェラーの助けがなければ、絶対こんな体験はできなかったろう。僕の恩師である原広司は、「建築家になるために必要なことは、建築家の近くにいることである。」という名言を残した。建築家を遠くで見ていると、世界を創造する神のように見えて、そんな大それたものに自分がなれるなんて、畏れ多くて、想像すらできない。しかし、建築家の近くにいると、建築家が意外に普通の人々であることがわかって、自分でも、建築が作れそうな気がしてくる。ロックフェラーのおかげで、僕は当時の世界をリードする建築家が、「普通のオジサン」であることを教えてもらうことができ、彼らのアトリエの生々しい活気にも、直接触れることができた。そこが神様の住む神聖な場所ではなく、バタバタとした現場であることを知って、勇気をもらった。
 1985年の夏にNYに着いた日に、友人と飲んで、5番街をブラブラしていたら、プラザホテルの前にバリケードがあって、通れなかった。その日、その場所で、プラザ合意が交わされたのである。まさにこの日を境にして、グローバルエコノミーがはじまり、金融資本主義という新しい経済システムがスタートし、月が2つに割れてしまったのである。
 NYでは、色々な事に出会い、色々な人にも出会ったが、一番重要な出会いが、二枚の畳との出会いであった。日本では長いこと畳の上で暮らしたことなどなく、畳のことなど考えたことがなかったのに、NYでなぜか急に畳が恋しくなった。インテリアショップを捜しまわったが、障子やフトンはあっても、畳はどこにも置いていなかった。やっとのことで、ロスアンゼルスベースの大工さんが畳をストックしていることを知ったが、値段が高くて、2枚しか買えなかった。
 その畳の上で昼寝をし、友達を呼んで茶会を催した。日本では、茶会などやったことがなかったのに、NYで茶の勉強をして、茶道具を集めた。2枚の畳の上での会話は、とても刺激的で楽しかった。日本は何か、自分は何かということを、はじめて考えた。
 この2枚の畳は、東京に持ち帰るわけにもいかないので、NYでお世話になった、ライティング・デザイナーの、エディソン・プライスさんに引き取って頂いた。エディソン・プライスは、世界はじめてのライティング・デザイナーと呼ばれる。照明器具ではなく、光そのものをはじめてデザインした人と呼ばれている。彼はミースのシーグラムビルの照明の設計をして、理想的な反射板の断面形状をはじめて計算で割り出し、トラバーチンの壁を完璧なウォール・ウォッシャーで照らし出した。フィリップ・ジョンソンの設計した52丁目のロックフェラーのゲストハウスでは、日本風の池の中で実験的な水中照明器具を開発し、ルイス・カーンとは、キンベル・ミュージアムで協同し、トップライトの下に、パンチングメタルを用いた反射板を発明した。その時々の苦労の思い出を、畳の上で聞くことができた。
 エディソンが、僕が置いてきた畳の上で息を引き取ったという話を、エディソンのお嬢さんからうかがった。NYで一番大事な出会いが何であったかに、その時、気が付いた。

Kengo Kuma © Onebeat Breakzenya

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