奈良県川上村の山中で、280年前に植えられた吉野杉の巨木(高さ50m)の伐採という「儀式」に参加した。これだけの大木の伐採は10数年ぶりだということである。
まず驚いたことは、これだけの大木を切ることを、山の人達は「間伐」と呼んでいたことである。吉野杉は、急斜面に1,000本/ m2 という驚くべき高密度で苗を植え、その高密度とこまめな間伐が、驚くほどに目の詰まった美しい柾目を生み出す。杉材では夏目と冬目の境の部分が最も湿度を通すため、目の詰んだ年輪は、呼吸を最大化し、酒樽に最適な材料として、日本酒の発祥の地である奈良(寺で日本酒の醸造技術が生まれ、育ったわけである)で、この特殊な「自然と人間」との合作がはじまったのである。
この繊細な年輪に千利休も目をつけた。利休は卵中箸などの、先端を尖らせた箸をデザインしたが、客人が来る時、吉野に人をやってこの繊細な杉を手に入れたといわれる。新国立競技場でも、インテリアの重要な部分に吉野杉を用いたが、理由を、利休なら理解してくれるだろう。
大木の伐採は、神話的ですらあった。まず、280年を越して生きてきた命が死ぬことの、衝撃、悲しさ。
そのために人々は木の前に仮の祭壇を作って祈った。杉に6mmのステンレスワイヤーがかけられ、根木と刃長130cmの特殊なチェーンソーでひく最後の作業には、10分もかからなかった。まず山側に三角形の切込みを入れて、通常とは逆に谷ではなく山側に曳き倒す。これは吉野杉ならではの特殊な方法 -葉枯らし- で、山側に倒れた木を半年から1年、そのままその場所で乾燥させることで、あの明るく軽やかな色合いが生まれる。密植から伐採、乾燥まで、まさに吉野杉とは自然と人間のコラボレーションであると思い知らされた。
大木が倒れ、大地が大きく揺れ、その低い振動は、山全体にこだました。僕の身体も、響きと共振してふるえ、涙が止まらなかった。