2020年3月で、12年間教鞭をとった東京大学を退官する。どんな形で、東京大学との12年を締めくくろうかと、いろいろ考えた。
通常は、退官記念講演をやって、自分で自分を総括するというスタイルをとるが、一人での講演会というのはしょっちゅうやっているので、どうしてもそれとかぶるような話になりそうで、いやだった。
自分に大きな影響を頂いた人を呼んでみようと考えた。自分の人生にはいくつかの転機があったが、転機をもたらしてくれたのは人である。時代との出会いが人生を転換するような言い方をする人もいるが、時代に出会って人生が変わるわけではなく、特別な人と出会って、人生が変わるのだと、僕は考えている。
そんな大事な人の多くは、幸い今でも元気なので、お互いが元気なうちに、語り合ってみたいと思ったのである。その人との出会いで、僕がどう感じ、どう変わったかを、語りあってみたいと思った。
しかし、このトークは結構照れ臭くもある。そもそもよく知っている先輩や友達に、あらたまって、「先生はこんな影響をくれましたとか、あなたは僕にとってこんな意味を持っているなどと言うのは、かなり恥ずかしい。
しかし、退官のような区切りの時は、そんな会話も、思い切ってできるような気がする。どちらかのお葬式なら、弔辞としてお互いの関係を総括できるかもしれないが、その時はどちらかが死んでいるわけだから、話は一方的になってしまって、掛け合いの緊張感はない。そう考えると退官記念の対話というのはかなり貴重な、人生一回のチャンスといってもいいだろう。
では誰を呼ぶか。これは難しかった。僕の人生には色々転機があって、色々な人との出会いで、僕は変わってきた。そこから一人だけを選ぶというのはなかなか難しいので、「退官記念講演シリーズ」ということで、10回トークを続けることにした。
10回やると、何とか僕という人間の多様性、僕が生きている時代のユニークさが立体的に浮き上がってくるかもしれない。
第一回目(4月20日)には、僕の恩師でもある原広司先生をお呼びした。1973年、大学に入学した当時の僕は、ある意味、建築に対して失望していた。60年代の青春時代の僕のヒーローは、丹下健三さんと黒川紀章さんであった。64年の東京オリンピックの頃、彼らは輝き、日本にも勢いがあったが、70年代になって、空気が一変して感じられた。彼らが作っている建築は、少しも魅力的でなく感じられた。勢いがよすぎて、ツルツル、ピカピカしすぎているように感じられたのである。
といって、日本の伝統的建築も、じじ臭くて、説教臭くて、好感がもてなかった。
そんな出口が見えない状況の中で、ジープに乗って、世界の辺境をとびまわり、ボロボロの集落を調べている「裸足の」原先生が、唯一の希望に思え、唯一、会って教わりたいと思えたのである。
そんなこと、普通だったら、恥ずかしくてとても恩師に対しては告白できないけれども、退官記念ということなら、お互い照れずにいられるとも思った。

ジャン・ミシャルスキー財団は、スイス・ローザンヌの丘の上に、文学を学び、創作するためのユニークな「村」を運営している。コンクリートの構造体から、小さなキャビンを吊り下げる方法で作られたこの「村」は、建築の集合体に対する新しい解答を提案している。 われわれはそこに、木をふんだんに使った巣のようなキャビンをデザインした。オークとカラマツの木を斧で割ってパネルを作り、そのパネルをランダムに貼り付けること … Read More
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