恩師である内田祥哉先生が5月3日に、96才で亡くなられた。2年前の僕の東大最終講義で対談して頂いた時は、あれほどお元気で、立ったままで長いレクチャーをされたので、いまだに信じられない。
内田先生から僕が教わったことについて、あるいは建築教育における内田研究室の役割については、最終講義をまとめた「くまの根」(東大出版会、2021年5月17日初版)を是非読んで頂きたい。
内田先生は、戦後の日本建築の、工業化のリーダーであると同時に、最大の批判者でもあった。建築の規格化、プレハブ化で、日本が世界のトップを走ることができたのは、内田先生の力による。しかし同時に、工業化が建築と人間を遠ざけ、非人間的な都市を作ることの危険に対して、内田先生は警鐘を鳴らし続け、具体的に活動し続けた。
内田先生は後半生において、日本伝統木造の復活の旗振り役をつとめた。僕が内田先生と最初に出会ったのは、東大の教養学部の建築の講義であったから、1973年、僕が18才、先生が47才の時であり、先生にとっては、丁度、転換点の頃だったかもしれない。1973年の日本は高度成長から低成長への転換の時だった。まさにその時機に、内田先生と出会ったことが、僕にとっては、とてもラッキーなことだと思う。僕は内田先生から工業化について学び、同時にそれにたいする批判的視点を教えていただいたのである。僕のその後の方向を、1973年の内田先生が定めてくれた。