五十嵐太郎、菊地尊也編で刊行された「現代建築宣言文集1960-2020」(彰国社)に、僕の文章が2篇収録された。磯崎新さん、槙文彦さんが3篇、黒川紀章さん、菊竹清訓さんと僕が2篇で、他の建築家達は1篇なので、建築プロパガンダ50篇の歴史の中でも、それなりの存在感が示せたことが、とりあえず嬉しかった。
僕の2篇のうち1篇は「反オブジェクト」(2000)のために書きおろした「粒子へと砕く事」であり、ここでは、その後(2000年以降)のKKAAの方法論をかなり早い時機に簡潔にまとめながら、ビアトリス・コロミーナのメディア論、ドゥルーズの物質論ともつながっていて、スピード感がある。
もう1篇は、新建築の2006年4月号の巻頭に書いた「パドックからカラオケへ」である。住宅設計という行為を神話化してあがめたてまつる日本の建築文化を笑いとばした「10宅論」(1990、ちくま文庫)は、僕の物書きデビュー作であるが、それ以来、この手の建築界批判、建築家批判を、時々書き散らかして、ストレス発散してみたくなる。この「パドックからカラオケへ」は、その手の文章の集大成とも呼べるもので、今でも思いっきり笑えるし、同時代批判としては、現代でも通用するだけの鮮度を保っているように感じた。
同時に、その状況がコロナ後にどう変わるのだろうかとも考えさせられた。建築家はいつのまにか、社会に通用する理念と技を持つプロの歌手ではなくなってしまい、歌好きのオニ―チャンになってしまったという今日的状況は、さらに進化したかもしれない。しかし、今、コロナでカラオケができなくなってしまっているように、コロナは建築好きのオニ―チャンが歌う場所さえ、うばってしまうかもしれない。