10月13日、建築史家のチャールズ・ジェンクスが亡くなった。ジェンクスというと、ポストモダニズムという言葉の生みの親として知られているが、ポストモダニズムというひとつの思想、時代を超越した大きな存在であった。僕にとってのジェンクスは、モダニズム以後の建築における社会と建築と、地球環境と建築との関係を思考する、唯一の「知の巨人」であった。
ポストモダニズムには、本来、そのような文明史的な視点があったにもかかわらず、それが建築様式のひとつだと誤解され、矮小化された。
黒川紀章さんの、国立新美術館での個展(2007)のオープニングの夜に、ジェンクスと黒川さんと語りあったことも忘れ難い。ジェンクスの亡くなった奥様マギーさんは、名門貴族ケジック(Keswick)家の出身であり、日本の天皇家とケジック家は古くからの友人であった。新美術館にいらした上皇后美智子様とジェンクスのお親しそうな御様子、その意外な組み合わせに、会場に居合わせた全員が驚いた。
フォーマルなオープニングのあと、ジェンクスと黒川さんとで恵比寿の寿司屋に場所を移し、黒川さんは羽織袴姿から解放されて、のびのびとして、いつもの気さくな黒川さんに戻っていた。国立新美術館の木製ルーバーを、ジェンクスが隈の影響だと指摘すると、黒川さんはむきになって、ルーバーは、1960年代に自分が現代建築に持ち込んだものだと、例をあげながら力説した。
ジェンクスはその後も、イギリスでの僕の講演に何度も足を運んでくれて、その晩はいつも遅くまで語り合った。ある晩、ジェンクスは僕の建築を、”STICK STYLE TODAY”と評した。ヴィンセント・スカリー(1920-2017)による名著、”Shingle Style Today” (1974)は、19世紀のアメリカの木造住宅の歴史と、モダニズム建築との関係を解き明かした名著で、ロバート・ヴェンチューリ(1925-2018)やポストモダニズムにも大きな影響を与えたテキストである。スカリーはその中で、ヨーロッパのハーフ・ティンバー・スタイルを原型とするスティック・スタイルの線の表現から、シングル(コケラ葺き)スタイルのヴォリューム表現への変遷を整理した。ジェンクスは、僕の建築環境の中に、コンクリートによるヴォリューム表現から、木で作られた繊細な線の回帰を見出して、この絶妙なニックネームを思いついた。20世紀というヴォリュームの世紀をはさんで、2つのスティック・スタイルが存在するという歴史観に、僕は感銘を受けた。
また別の晩には、僕に「はだしの建築家」(barefoot architect)というニックネームをつけた。「はだしの医師」というのは毛沢東時代に、地方をまわって、草の根の医療活動を行った医師たちにつけられた呼び名であるが、ジェンクスは、地元の職人たちのコラボレーションによる僕の小さな建築の中に、「はだし」の精神を見出してくれたのである。その晩の僕は、めずらしく靴下をはいていたのだが。