「荻外荘(近衞⽂麿旧宅)」展⽰休憩施設棟
荻窪は大正から昭和初期にかけて「西の鎌倉・東の荻窪」と称され、東京近郊の別荘地として発展し、昭和を代表する文化人・政治家の交流の舞台となった。その象徴である「荻窪三庭園」(荻外荘公園、大田黒公園、角川庭園)を回遊する拠点となる、展示と交流の建築。
隣地には昭和2年 (1927) 伊東忠太の設計により創建された「荻外荘(てきがいそう)」の復原プロジェクトが杉並区により進められている。
屋敷林の名残である大きなケヤキの下に、案内所・カフェ・展示室をコンパクトにまとめ、凹型の二次曲面を8枚あわせた屋根を架け、ケヤキの樹の下に人々が集まるイメージを建築化した。
▽ 杉並区「荻外荘 復原・整備プロジェクト」
https://www.city.suginami.tokyo.jp/kyouiku/bunkazai/tekigaiso/fukugen/index.html